実録・はじめての喪主物語 (もしゅものがたり)

 相続というやつは、本当に厄介で面倒です。中でも葬儀の「喪主(もしゅ)」というのはなかなかパンチの効いた大変さがあります。相続の大変さは、なんと言ってもその「手続き」です。それは葬儀場の手配から早くも始まります。このBlogの著者イシカワ、当時26歳。人生初の「喪主」を務めるときがやってきました。それでは「実録・はじめての喪主物語」のスタートです。

深夜1時過ぎ、携帯電話が鳴る。父が亡くなったとの知らせである。深夜の病院。ここから試練は始まります。深夜にも関わらず、できるだけ早く遺体を病院から出して欲しいと病院サイドに言われます。そこで早速、葬儀会社に連絡。葬儀会社に連絡?それもよくわからない。どこに電話すればいいのだ。そうだ、おじいちゃんの葬式をやった所にお願いしよう!と104で電話番号を調べてTEL。ようやくその葬儀場に連絡がつながるも、先約があり、無理だという。葬式に先約ってなんだよ!と思いながら、親戚に「どこかないかな〜?」と相談。もう一軒、104で電話番号を調べてTEL。つながらない・・・。どうする、どうするってなことで、父の実家の近くの、わりと最近できたという葬儀場になんとかお願いすることができました。

電話を切るとすぐに迎えに来てくれます。遺体は父の実家に向かうことになりました。すでに朝方であります。仮眠する暇もなく、悲しみに暮れる暇もなく、葬儀会社の担当の方と打ち合わせです。喪主は私であります。

祭壇はどれにする、花はどんな感じにしますか、BGMのリクエストはありますか、何人くらい来そうですか、香典返しはどれにしますか、お寺さんはどちらに頼まれますか、遺影はどれにしますか、遺影の背景は?、となんだかんだやっているうちに寝る時間はなくなります。

妙なテンションのまま、父の携帯から名前を聞いたことがある主要人物に電話。父が亡くなったことを伝えると、皆さん驚きのリアクション、中には電話の向こうでウォンウォンと泣き出す人まで。父のために大変ありがたいことなのですが、もはや手続きの一つとなってしまっている喪主イシカワであります。葬儀の知らせを済ませるとさっさと次のコールです。事務作業であります。その間、会社には行けません。上司や同僚が非常に心配してくれて、仕事のことは気にするな、と言ってはくれますが、営業マンだった石川の電話にはお客様からの電話がじゃんじゃん。個人成績を重視する会社であったため、さすがに同僚にお願いする訳にもいかず・・・。パンパンの状態になっていきます。

休む間もなくお寺の僧侶さんが父の実家にやってきてお経。さすがにウトウトするも、親戚一同を前に喪主がうたた寝するわけにもいかず、なんとか耐え切る。さぁ、葬儀場に移動していよいよ通夜の始まり、始まり〜。一旦帰宅して、喪服に着替えます。

葬儀場に着くと、結婚式よろしく、司会者の方と一通りの段取りを打ち合わせ。会社の同僚がなんとありがたいことか、受付けを買って出てくれまして、一安心。喪主の挨拶はサンプル文を渡され、控室でちょっと練習。で、ぞくぞくと参列者が集まってくる。57歳の誕生日から1週間後に亡くなった父。現役バリバリだったため交流も多い。ぞくぞく、ぞっくぞくとご参列の皆様が。そしてお寺さんが正装で登場。お経が始まります。長い、とにかく長い!人が多い分、お焼香の列が長い!その間、ず〜っと立って、おじぎm(_ _)m足がパッツパツ。横で和装したオカン、大丈夫か?と思いながらもなんとか終了。通夜の場合は、喪主の挨拶も業務連絡みたいなもの。パッパと定型文通りにしゃべって終わりました。

さぁ、通夜も無事に終わり、明日の葬式を終えればぐっすり眠れる・・・。という甘い考えは通用しませんでした。「実録・初めての喪主物語」まだまだ終わりませんので今日のところはこの辺りで。続きはまた次回にします。それではm(__)m

喪主・イシカワ

遺産整理のグランアシスト 石川良典

ホームページトップ↓クリック↓

info

〜リンク〜

ブログ執筆中『ビンボー大家さんのがん治療日記』